不妊治療開始
2001年4月
肩こり・頭痛・めまい・吐き気の症状(貧血)+1週間おきの出血
3ヵ月後に結婚式を控えていました。
母に付き添われ車で片道30分ほどのM病院へ!
尿検査・エコー検査・血液検査をしました。
検査の結果、ストレスによる無排卵と診断でした。
このままでは、自然妊娠は難しいと言われ不妊治療をしていくことになりました。
治療法は、
クロミッド服用とHCG筋肉注射(これが痛かった)、タイミング療法!!
フューナーテストもしましたが問題なし。
結 婚 


2001年7月
無事に結婚式を終え、主婦業と会社勤めの両立が始まりました!!
会社の副社長が女性で自分の娘のようにかわいがってもらっていたので、事情を話し
パートという形での勤務にしてもらい、治療の日は病院へ行ってから会社へ出勤。
会社に着くのは昼前でした。
そんな生活がしばらく続き、周りからは
『子供はまだ?』・『早く子供を作りなさい』の声が!!
大きなお世話ですよね。気にしないようにしているつもりでしたが、やっぱり気にしていました。
治療お休み後 転院
M病院への通院も遠く治療に少し疲れたので、治療を少しお休みすることに。
少し治療をお休みした後、家の近くのA病院へ転院。
そこで卵管造影とまたフューナーテストをしましたが異常なし。
治療法はM病院と同じでした。
通院のたびに周りはお腹の大きな人ばかり。
悲しく・羨ましく・複雑な思いでした。
排卵誘発剤の副作用か、すごく憂鬱な気分になり気付くと主人に八つ当たりしていました。
すぐに涙が出てしまい、本当に精神的に追い込まれていました。
何かほかの事を考える余裕さえなくなっていました。
このままではダメだとわかってはいても頭の中は子供のことばかり。
周りの人達からの
『子供はまだ』の言葉でどれだけ泣いたことか!!
人に会うことも拒むようになり、同窓会も欠席したり子持ちの友達とも遊べなくなりました。
暇さえあれば不妊に関することを調べて実践。
私が実践したことはまた他のページをのぞいてみて下さいね。
『多嚢胞性卵巣症候群』
2002年 秋
A病院で治療を続けていたある日、親戚より連絡がありました。
不妊治療して双子を出産したとの事でした。
県内では有名な不妊専門の先生がいると聞き病院を紹介してもらいました。
そして、これが最後と自分に言い聞かせTクリニックへ転院しました。
通院距離は遠く治療のある日は会社は休まなければなりませんでした。
Tクリニックでの検査は、内診・主人の精液検査・血液検査でした。
主人には何の異常もありませんでした。
異常があったのはやっぱり私!
不妊の本で見たことのある病名を言われました。
病名は
『多嚢胞性卵巣症候群』というものでした。
初めてちゃんとした病名を聞きました。
Tクリニックでの治療法もこれまでの治療法と同じでしたが、排卵誘発剤の種類を変えてくれました。
Tクリニックの待合室は2箇所に分かれており、不妊治療をしている患者さんからは妊婦さんがあまり見えないようになっていました。
人間恐怖症気味だった私にとってはすごく有難い事でした。
先生と看護婦さんもすごく良心的で気付けば笑顔で治療していました。
この病院だったら・・・・と希望が持てました。
生まれて初めて
2002年12月
Tクリニックでの治療を開始して4ヵ月後、体に異変が!!
吐き気や胃もたれ。
よく考えてみると、排卵はちゃんとしたのに生理がきていないことに気付きました。
病院に行くのを待ちきれずに薬局へ行き妊娠検査薬を購入。
結果は『陽性』。信じられませんでした。
ちゃんと調べてもらうまでは半信半疑。
翌日、Tクリニックへ。
生まれて初めての妊娠でした。先生から人工授精の話を聞かされていた頃の妊娠でした。
嬉しくて嬉しくて涙がポロポロ。
実家の母に電話すると母も泣いて喜んでくれました。
翌日、会社にも報告し体の調子がいい時だけの出勤でもいいと言われ甘えることにしました。
日に日に
「つわり」がひどくなり食事も摂れない状態でした。
妊娠するってこんなにも辛いものかと思ったりもしました。
しかし、つわりくらい・・・・。
最悪の日
妊娠発覚から10日ほど経ったときでした。
主人が島へ短期出張のため私は実家へ帰っていました。
父も母も仕事に出かけた後、トイレに行くと出血していました。
どうしよう!親に心配はかけたくない。
私は置き手紙をし自分のアパートへ帰りました。
病院に電話すると休診日でした。
安静にし明日の朝病院に来るようにとの事でした。
私はアパートで1人不安の中横になっていました。
夕方、置き手紙を見て心配した母がアパートまで来てくれました。
翌朝あまり眠ることも出来ないまま母に付き添われ病院へ。
先生の口から出た言葉は『自然流産』でした。
心音を聞くこともなく初めての妊娠生活は終わりました。
あんなに辛かったつわりもピタリとなくなりました。
主人はまだ出張中のため実家へ。ショックでしばらくは泣いてばかり。
慰めの言葉は余計に傷付きました。
星になった小さな小さな天使ちゃん。本当にゴメンネ(T_T)
2003年 1月
流産の傷も癒えぬまま新しい年を迎えました。
本当なら元旦は主人の実家で過ごす予定でしたが、親戚が集まるとまた子供のことを言われると思い、私は主人にわがままを聞いてもらいお隣の県にある
子宝に恵まれるという神社へ主人と二人行きました。
流産をきっかけに私の
人間恐怖症はひどくなりました。
結婚の次は子供!! そんな考えの人が多すぎますよね。
『子供はまだ?』などと聞かれることにすごくストレスを感じていました。
ストレスが一番良くないとわかってはいても周りの人達の心無い言葉が私を傷付けました。
1月中旬、私は職場に復帰しました。
つわり〜流産で1ヶ月お休みしていました。
職場でもやっぱり流産の事や子供のことを言われましたが私は涙をこらえ強がっていました。
治療再開!!
2003年 2月
一度妊娠できたのだからまた出来る!!その言葉を信じ治療を開始しました。
治療法はこれまでと同じ方法です。
病院での治療をしながら自宅でも不妊にいいといわれるものは全て挑戦しました。
退 職
2003年 4月
会社に退職願を提出。
会社に勤めているとたくさんの方と会わなければならず、それが自分にとっては苦になり退職して自分の好きなように生活することに。
2度目の妊娠
2003年 6月
流産後、治療を再開し4ヶ月目2度目の妊娠!!
しかも
双子である事が判明!!
1度流産しているので喜びよりも不安のほうが大きかったです。
心拍を確認できるようになるまでは3日に1度の通院!!
妊娠発覚から初めての通院で、1人の方の
心拍を確認。
数日後の通院で片方の子は育っていない事が判明。
さらに数日後の診察。
心拍を確認できていた方の心拍が確認できなくなっていました。
2度目の流産でした。
「繋留流産」
あまり涙は出ませんでした。
数日後、そう破手術を行いました。
この流産を機に子供を諦めマイホーム建築を決めました。
地鎮祭
2003年 8月
マイホーム新築の準備は着々と進み、無事に地鎮祭を迎える事が出来ました。
家の新築の準備などで忙しかった為、子供のこと・流産のことはあまり考えずに生活できました。
9月に入り上棟式も無事に終わりました。
私は、実家の仕事を手伝うという楽しみを見つけました。
実家が農業をしており、毎日新鮮な野菜を収穫していました。
マイホーム完成 
2003年12月
無事にマイホームも完成し引っ越す事が出来ました。
新しい家での生活が始まりました。
何もかもが新鮮に感じ、本当に楽しい生活。
しかし、年が明けると主人が単身赴任する事が決まっていました。
新しい家でのお正月!!
2004年 1月
主人の実家に集まったり、親戚まわり!!
子供の事を言われるのは覚悟していました。
案の定、親戚のおじさんから言われましたが心の中で『バカヤロー』『クソ親父』と叫び気にしませんでした。
まさかの妊娠!マカの効果・・・

お正月休みも明け主人は島に単身赴任しました。
私は相変わらず実家の手伝いを楽しんでいました。
手伝いで体を動かすせいかやたらとお腹が空き気分が悪くなりました。
あまり気にはしなかったのですが、よく考えると2度目の流産後1度も生理が来ていませんでした。病院にも1度も行っていません。
そんなはずはないと思いながら一応妊娠検査薬を試す事に。
なっ、なんと陽性反応!!
病院で調べてもらうまでは信じられませんでした。
治療もせず、ただ自宅で出来る治療(
マカを飲むなど)をしていただけです。
数日後、主人が休みで帰ってきたので一緒にTクリニックへ。
結果は間違いなく妊娠していました。予定日は9月!!
流産を少しでも防ぐ為に、予定日近くまで薬を服用するとの事でした。
主人がまた島に行ってしまった為、私は実家で生活することになりまた。
2004年2月
つわりがかなりひどく、ほとんど何も受け付けなくなりました。
Tクリニックまでは、車で片道1時間以上かかりつわりのひどい私には耐えられませんでした。
先生に相談し、自宅近くの産婦人科を紹介してもらい転院しました。
2004年4月
つわりも治まり、検診で聞く心音・エコーで見る我が子!!
幸せを噛みしめていました。
体重は妊娠前に比べ−5キロ。つわりでほとんど食べられなかった為やせちゃいました。
胎 動 
2004年5月
お腹の中の赤ちゃんの体重404グラム!!
食欲も出て自分の体重もUP。
はじめてお腹の中がグニュッと!!胎動を感じました。
2004年6月
お腹の中の赤ちゃんの体重895グラム!!
赤ちゃんの動きも活発に!!本当に幸せ。
ベビー用品を揃え始めました。
ベビー用品コーナーに行くとどれもが欲しくなりました。
2004年7月
主人が島での仕事を終え帰ってきました。
お腹の中の赤ちゃんの体重1780グラム!!
私の体重も順調に増え妊娠前の体重より6キロもUP。
2004年8月
1回目の検診 お腹の中の赤ちゃんの体重2559グラム!!
2回目の検診 お腹の中の赤ちゃんの体重2656グラム!!
3回目の検診 お腹の中の赤ちゃんの体重2776グラム!!
今産まれてもちゃんと育つ体重に成長したと言われ一安心!!
検診も1週間おきになりました。
我が家が3人家族になりました
2004年9月
1回目の検診 お腹の中の赤ちゃんの体重2904グラム!!
2回目の検診 お腹の中の赤ちゃんの体重3149グラム!!
いつ産まれてもいいとのこと。
ドキドキだけどすごく楽しみでした。
早く我が子をこの手で抱きたい。
出産予定日の朝、何の変化もありませんでした。
夕方になっても産まれる気配もなく散歩しました。
しかしその散歩から2時間後、少しお腹が張ってきました。
病院へ連絡し、主人と一緒に病院到着。
おしるしもありました。
診察してもらい陣痛が始っているとのこと!!
いよいよです。
だんだん陣痛が強くなりました。しかし子宮口がなかなか開きませんでした。
翌朝になっても産まれません。お昼過ぎ陣痛促進剤を使用。
2時間後、分娩室へ!分娩室に入って5分後無事に女の子を出産!!
涙・涙 ここたん誕生!!
生まれたばかりのここたん≪身長48,0センチ・体重2,804グラム≫
3年に及ぶここたんママの不妊・流産との闘いが終わりました。
なぜ妊娠できたかは定かではありません。
しかし、環境が変わり生活も変わったことであまり子供のことばかりを考えずにいられたことが良かったのかもしれません。
また、自宅でできる自分なりの治療を続けたことも良かったのかもしれません。
周りの人の心無い言葉に傷付き泣いたことでしょう。
不妊で悩んでいる人はあなただけではありません。
不妊治療に没頭せず息抜きも大切ですよね。
負けずに頑張りましょうね。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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